本日、無事に建築学科、学位記授与式が行われました。
卒業生向けの長いコメントとなってしまいますが、書いてみます。
今年の卒業生は、研究室に配属された2年間がコロナ禍と被ってしまい、思うように活動が出来なかったのが残念です。
ただ、そのような状況でも、自分たちで工夫をして研究を進めて論文を書き上げられたことは自身に思ってください。また郡上での活動に参加してくれた人は、このような状況で対外的に調査や発表をする難しさを経験し、手伝ってくれる方々のありがたさも知ることができたと思います。少ない機会となってしまいましたが、今後に活かせてもらえたら嬉しいです。
修士の山中さんは4年間、自分の研究と向き合って、考えを深めたこと、自信を持って進んで下さい。色々と厳しいことも言いましたが、発表して他の先生方にも伝わったことはとても良かったです。
建築史という分野は、就職してしまうと役に立たないように思うかもしれません。
しかし、何ごとにおいても、なぜそうなっているのか、なにがそうさせるのか、ということを考えることはものの理解と展開には欠かせません。他者への伝達、価値の共有にも必要でしょう。そうした根本の説明が、多様化・混沌化する現代では求められるでしょうし、そこから相手を理解することが寛容さにつながり、相互の理解とより良い共生へつながるはずです。自分自身のなかででも、ものを冷静に見極める力は、対象との関わり方を考えやすくしてくれるはずです。
歴史はそうしたことを考える分野で、それが建築においては建築史になります。
これからの仕事の中で、それぞれ実践的な技術や能力を身につけていくことになると思いますが、建築史分野での卒業研究・修士研究では、それらよりも根本的な力・知を深められたはずです。つまり、上に記した、ものごとの背後を見て考え、客観的に判断することです。
この力は、自分でも認識しないうちに生み出すものに差をもたらすのではないかと思います。
また、なぜそこにものがあるのか、私たちがいるのか、と言ったことを考える(考えてしまう)のは、非常に人間的なこと、根源的な知的欲求だと個人的には思っています。皆さんには研究で「誰も言っていないことを1つは明らかにする」ことを目指してもらい、達成できました。つまり、建築を題材・鍵として人間的な問いを設定し、それに回答してもらったのです。
そして、そこから得られた知を、他者と共有する(発表・理解してもらう)ことは人間社会を豊かにします。
ちょっと大げさかもしれませんが、建築史分野で、卒論・修論を書き、発表することを通して「社会の中で生きる人間」としての成長もあったのでは、と思います。
長くなってしまいましたが、卒業・修了のみなさんは力をしっかり付けました。
これから始まる社会人生活に自信と希望を持って迎えて下さい。
ご卒業おめでとうございます。(米)
(写っていない人、ごめんなさい!)
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